2020(令和2)年7月
御挨拶
各位にはご清祥にて、新型コロナウィルス感染症対策に腐心されておられることと推察いたします。
4月9日に予定しておりました県仏の理事会も中止し、監査会のみ実施した上で、書面決議という形をとりました。
その結果、令和元年度の事業・決算、令和2年度の事業計画・予算案はすべて承認されました。改めてお礼申しあげます。
ところで、この新型コロナウィルス感染症の出来事から、私ども仏教者は何を学び、いかに行動していくべきでしょうか。
私的には「如実知見」「自灯明法灯明」「犀の角のようにただ独り歩め」という三つの教えを特に意識し踏まえて、行動していきたいと思っております。
新型コロナウィルスに関してはまだわからないことが少なくないことはご存じの通りです。信頼できる基本的な情報は厚生労働省のウェブサイトの「新型コロナウィルス感染症について」のページなどから得ることができます。
業者でさえ、いたずらに新型コロナウィルスに対する恐怖心をあおる対応をしてしまっている場面を目にします。ましてや生活者としての私共には、なお一層正確な情報と深慮が必要です。
自分自身が感染しないため、他人に感染させないため、また感染者やその家族・知人に対する誹謗中傷、医療従事者・スーパーなどの店員さんなどに対するハラスメントをしない・させないための、根本的な基準が「如実知見」だと思っております。
また、他人に判断を委ねず自分で考えるということも大切であると感じております。NHKが6月19日から3日間行った18歳以上を対象とした世論調査によると、「感染症の拡大を防ぐため、政府や自治体が外出を禁止したり、休業を強制したりできるようにする、法律の改正が必要だと思うか」という問いに対して、「必要だ」と答えた人が62%、「必要ではない」と答えた人は27%だったとのことです。
自分のことは自分で決められるという自由は、何ものにも代えがたい権利であると思います。法律で行動を規制されるなどまっぴらご免です。
ところがこのような「御上意識」が今も日本人に根強いのだと思うと愕然とします。ノンフィクションライターの窪田順生は、「自分たちのイデオロギーに合わないものを叩いて排除するというのは、全体主義に毒された人達にみられる典型的な症状」だとしています。
そしてその例として、戦前・戦中の軍部による「娯楽統制」をあげ、それを後押ししたのは「投書階級」という普通の市民だった可能性のあることを指摘しています。
「自灯明法灯明」(この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ) 中村元訳『ブッダ最後の旅』
釈尊の教えをくりかえし学び、実践し、自己を磨き、その磨かれた自己をよりどころとして生きていく、と私的には解釈しております。世の中に不変で絶対的なことがらはあり得ません。無常であり無我であります。その都度その都度考え、実践していくことが大切と、改めて肝に銘じております。
さらに、新型コロナウィルスの流行が沈静化しても、ソーシャルディスタンスを保つ生活は続いていくと思われます。楽しみも集団的なものから個別的なものになっていくでしょう。独りで過ごす時間が増えるものと思われます。一般的には「孤独」はつらく良くないものとされているようです。しかし、生まれるときも死ぬときも独りです。孤独が人間の本質の一つです。
『スッタニパータ』の第1『蛇の章』第3節は「犀の角」と名付けられています。41の短い詩から構成されていて、そのほとんどは「犀の角のようにただ独り歩め」という言葉で締めくくられています。「求道者は、他の人々からの毀誉褒貶にわずらわされることなく、ただひとりでも、自分の確信にしたがって、暮らすようにせよ」という意味です。
「犀の角のように」、独立自由と平静・安らいを喜び・楽しみ、他人に対する慈しみ・あわれみを忘れず、世間に背かず生きていく、というのが新しい生き方の標準になるよう、自分自身つとめて参りたいと思っております。
時節柄、くれぐれもご自愛ください。
令和2年7月
新潟県仏教会 会長
寺崎 敬道
合掌
